作品名 | リモージュ シャンルヴェ エナメル クロス |
制作年 | 1190-1210年頃 |
制作国 | フランス |
制作者 | 未詳 |
素材 | リモージュエナメル、銅 |
サイズ | L298mm, W190mm |
この貴重な美しいリモージュ・エナメル製のクロスは、受難に苦しむイエス・キリストを描いている。銅板に高浮彫されたイエス・キリストの身体は十字架に手足を釘で打ち付けられており、イエスが磔にされた時の様子を忠実に描いている。
リモージュ・エナメルが施された銅板と一体化したキリストの彫像は、頭部を右肩の方に傾け、髭の生えた顔には強く胸を打つ表情を湛え、気高く肩に落ちる長い髪に縁取られている。大いなる威厳を保ちながら瞼を閉じたキリストは、限りなく悲しげでありながらも、彫刻家の卓越した技巧により、死の間際でもなお死に屈しない非凡な力強さを感じさせる表情をしている。
肋骨を描く線は深く刻み込まれ、腰にはペリゾニウムという腰布が巻かれている。ペリゾニウムは、8世紀以降のキリスト像が身に着けるようになった褌のようなものである。身体を覆っていた金箔は、今でもところどころに残っているが、キリストの祝福を受けたいと願った多くの信者たちに約1,000年にもわたって信仰されたことにより、摩滅してしまったようである。
逆説的だが、キリストが架けられている十字架はエナメルで豪華な装飾が施されている。キリストの頭部を取り囲む大きな光輪は、青、黒、白の同心円として表現されており、その中心には赤い十字架が描かれている。
十字架の上端には、”IHS”(イエスの名前の最初の三文字)と”XPS”(キリストのモノグラム)を記した柱頭に取り付ける銘板が二枚あり、その上に描かれた右手は、まるで天からキリストの頭に向かって伸ばされているように見える。
それ以外の部分は、緻密に多彩色が施されており鮮やかである。背景は鮮やかな青が用いられており、キリストが架けられている細い十字架は、緑色のエナメルと、シャンルヴェ技法を用いて銅で描かれた曲線で飾られている。当時のリモージュの慣例に倣い、青い背景には色鮮やかな黄、赤、青、赤、白のエナメルを用いて同心円状に描かれた、ロゼットと称される円形の花模様が散りばめられており、キリストの頭部を囲む光輪と同じような円模様も描かれている。キリストの足元部分のエナメルはほとんど失われているが、教会の出入り口と思しきものが深い緑色のエナメルで彩られている。
裏面には2本の横木を有するロレーヌ十字と、意味は不明だがNLEIという文字が刻まれている。
解説
この十字架は、12世紀末にシャンルヴェ・エナメルの技法を用いて制作された、数少ない作品の1つであり、美術館に所蔵されている同種の作品は10点にも満たない。シャンルヴェ・エナメルは、12世紀から14世紀にわたってリモージュで生産されたが、その後は新たなエナメル技法が使われるようになった。中世において、専門家たちがラテン語で「オーパス・レモヴィンセンス」と称することもあったリモージュ・エナメルは、ヨーロッパの主要都市における大修道院の発展、聖遺物やキリスト教信仰の高まりと相まって、尊い聖具の有名な産地で制作された品として空前の人気と名声を博した。また、中世は大聖堂建設が盛んに行われた時期であり、リモージュで制作された聖具も大聖堂に宝物として納められていた。重要な礼拝行進が行われる際は、このような聖具を掲げて、祈りを捧げたのである。
古代美術の専門家であるハドリアン・ランバッハ氏は、パリの国立中世美術館(通称クリュニー美術館)に展示されている同時代にで制作された十字架と本作を比較して、本作の希少性が明らかになる興味深い比較研究をしてくれた。
「このような作品は実に珍しく、2018年にフランス国立中世美術館にこの種の十字架が寄贈されたことは、重要な出来事である。驚くことにサイズがほぼ同じ(どちらも縦298mm)であるにもかかわらず、これら2点の十字架がまったく異なることは明白である。例えば、中世美術館所蔵の十字架ではキリストが宝冠を付け、服を着ているのに対し、アルビオンアート所蔵の十字架ではキリストが身にまとっているのはペリゾニウムだけで裸同然の姿をしており、より現実味を帯びている。