用語集

ヴィエズ、ジュール【ジュエラー/メゾン】

Wièse, Jules

ドイツ人のジュール・ヴィエズ(1818-90)は、ベルリンのプロシア王室御用達の著名なジュエラーの許で徒弟期間を終えるとパリに赴き、後のショーメの創立者ニト次いでフォサンのメゾンを継いだゴールドスミス&ジュエラーのJ. P. モレルの許で働いて名を成す。1839年からはF. D.フロマン=ムーリスの工房に入り、やがて工房長となって師と長期間にわたる緊密な関係を築く。1844年にヴィエズが設立した工房は、フロマン=ムーリスからの仕事を専門とするものであった。フロマン=ムーリスはヴィエズの功に報いて、1849年の産業博覧会と1851年の国際博覧会で彼を共同製作者として遇し、1855年のフロマン=ムーリスの死後も息子のエミールが当主となる1859年まで両社のコラボレーションは継続した。ヴィエズは1855年の万国博覧会で2つの一等賞メダル受賞で声望を高め、1862年のロンドン万国博覧会での名誉賞メダル受賞で名声を確立した後、1880年に息子のルイ(1852-1923)に家督を譲って引退した。

ジュエリーだけでなくハードストーンによる立体彫刻を始めとするオブジェ・ダールも数多く手がけたヴィエズの作風は、実製作を請け負っていたフロマン=ムーリスの影響を強く感じさせるもので、中世の建築装飾のモティーフやルネサンスからインスピレーションを得たものであったが、ナポレオン3世が購入しルーヴルで公開したカンパナ・コレクションに接した1860年代には、ローマのカステラーニおよびピエレに倣ったアーケオロジカル・スタイルにもレパートリーを広げた。