用語集

ヴェルドゥーラ【ジュエラー/メゾン】

Verdura

ヴェルドゥーラ公爵(1898-1978)ことフルコ・サントステファーノ・デラ・チェルダが生地のパレルモを離れ、画家を志してパリに出たのは1926年のこと。たちまちファション界の大御所ココ・シャネルに才能を認められ、まずは彼女のためにテキスタイル・デザインを手がけ、さらにアクセサリーをデザインし、最終的にはジュエリー部門のチーフ・デザイナーにまで上り詰めた。1937年、戦火を避けてニューヨークに渡った彼は、ハリウッド女優御用達のジュエラー、ポール・フレイトにデザインを提供するが、わずか2年で独立しフィフス・アヴェニュー712番地に自前のサロンをオープン。1947年にはパリにもサロンを開いた彼のジュエリーは、プラチナが最高の貴金属として君臨した時代の中で、ゴールドに貴石や半貴石をマウントした大胆なデザインで異彩を放った。その盛名はガルボやディトリッヒ、ウィンザー公爵夫人らが顧客に名を連ねるほどの絶大さ。1930年代のパリとニューヨークの爛熟した文化を呼吸した彼のジュエリーは、贅沢と粋を知り尽くした上に生粋の美的センスが加味されたものであった。1973年にフィフス・アヴェニューの店を現在のオーナーに売却するが、膨大なデザイン画もそっくり譲渡され、それに基づいて現在もリプロダクションが続けられている。