用語集

ジュリアーノ、カルロ【ジュエラー/メゾン】

Giuliano, Carlo

ローマのカステラーニの工房で修行を積んだと考えられているナポリ出身のカルロ・ジュエリアーノ(1831-1895)は、1860年頃に渡英してロンドンのフリス・ストリートに工房を開く。当初はロンドンにおけるカステラーニの代理人という役割もあったが、ハント・アンド・ロスケル、C. F.ハンコックといった宝石店向けに自ら考案した商標付のジュエリーを製作。そのネオ・ルネサンス・スタイルのジュエリーはロンドンで熱狂的な支持を得て、1874年にはピカデリー115番地に宝石店をオープンするに至るほどの成功を収めた。彼はルネサンスにインスピレーションの源泉を求めたが、そっくりコピーすることはせず、自らの確固たる趣味によって時代のファッションにマッチさせるべくデザインし直した。エナメルも色彩を廃し、白と青、または黒のピケ・エナメルを多用した。彼はエジプトの魅力に対しても敏感で、1860年代半ばから1880年代半ばまでエジプシャン・リヴァイヴァルも採用、ファイアンス製のスカラベやファラオ時代のインスピレーションによるパリュールにまで創作の幅を広げる。カルロの死後息子のカルロ・ジョセフ(生没年不詳)とアーサー・アルフォンス(1864-1914)が家業を引き継ぐが、ジュエリーの完成度は父親の時代よりも劣るものであった。1912年、店はナイツブリッジ48番地に移転して営業を続けたが、1914年に閉店した。